酒に歴史あり(日本酒・奈良県編)~その①~
日本酒の知識
皆さんは「清酒発祥の地」と聞いてまずどこを思い浮かべますか?
全国には清酒発祥の地と呼ばれる土地が3か所あります。
清酒発祥の地は全国に3か所
- 1. 宮崎県西都市 -都萬神社-
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まず1か所目は宮崎県西都市にあります都萬(つま)神社です。都萬神社の御祭神である木花咲耶姫が3人の子を同時に出産された際、母乳代わりに、甘酒で育てたと言い伝えられています。
- 2. 奈良県奈良市 -正暦寺-
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2か所目は奈良県奈良市にある正暦寺。ここは日本酒のルーツと言われている「菩提(ぼだい)酛」の発祥の地とされています。
- 3. 兵庫県伊丹市 -清酒発祥の地-
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3か所目が兵庫県伊丹市にある「清酒発祥の地」です。ここは1600年頃、澄酒を発明した山中新六の邸宅があったと伝えられている場所です。
伝説によると、怒られた手代が「こんな酒は呑めないようにしてやる!」と桶の中に灰を投げ込んだところから澄んだ酒ができあがったと言い伝えられています。今でいう活性炭の役目をしたと思われます。
正暦寺の歴史
今回はその中の1つ、奈良県の正暦寺を訪ねてきました。
正暦寺は西暦992年(正暦3年)、一条天皇の勅命を受けて創建された真言宗の寺院です。正暦3年に創建されたことから「正暦寺」という寺名になったようです。
当時は数百人から千人の僧侶を抱える大きな寺院でした。
室町時代には宗教都市として栄え、日本清酒の原形となる菩提酛造りが確立したのもこの頃。大所帯の寺の財源として日本酒を造り、貴族や武家に販売したようです。
江戸時代には徳川幕府の厳しい監視体制を受け、急速に衰退し、明治16~17年には本堂、観音堂が相次いで焼失してしまいました。
現在は福寿院と再建された本堂、鐘楼堂などを残すのみとなっていますが、福寿院の近くには「日本清酒発祥之地」の石碑があり、今でも毎年1月に境内で菩提酛の酒母の仕込みが行われています。
菩提酛って何?
日本酒の製造工程の1つに「酒母造り」という、本発酵に入る前のスターターの役目をする工程があります。菩提酛は酒母を造る方法では日本で一番古く、室町時代から正暦寺で菩提酛による酒母が造られていました。
日本酒の仕込みには「乳酸菌」の存在が欠かせません。日本酒は酵母が増殖することで造られます。その酵母が安全に増殖するにはタンク内を酸性にする必要があります。酵母は雑菌には弱く、酸性には強いという特徴を持っています。タンク内の雑菌を淘汰するためには乳酸菌の協力が不可欠なのです。
室町時代から続く菩提酛、その後江戸時代まで主流だった生酛造り、明治時代に開発された速醸酛、現代に開発された高温糖化酛、すべて酒母を造る手法ですが、乳酸菌や乳酸の取得方法により呼び名が変わってきます。
菩提酛が他の酒母造りと明らかに違う点は「そやし水」と言われる酸性水を造ることです。最初に少量の蒸したお米と生米を水に入れて3日ほど乳酸発酵させます。そして出来上がったそやし水からお米を取り出し、その米を蒸します。そのあと、再び米をそやし水に戻し麹を加えます。1~2週間ほどで菩提酛が完成します。ヨーグルトのような酸っぱい臭いがします。
奈良県菩提酛による清酒製造研究会について
平成8年、奈良県内の若手の蔵元が集まり「奈良県菩提酛による清酒製造研究会」が設立されました。
菩提酛による酒造りの研究が正暦寺と奈良県工業技術センター(現:奈良県産業振興総合センター)と共同で行われ、平成10年に酒造製造免許が降り、正暦寺での日本酒の醸造が復活しました。
昔は正暦寺の敷地内に東大寺近くにある興福寺の別院があったようで、現在はその地で奈良県の酒造好適米「露葉風」を栽培し、正暦寺の酵母を使って菩提酛の日本酒を蘇らせています。
正暦寺のご本尊は創建以来、薬師如来様です。福寿院の中は撮影禁止なので、お姿を写真に収めることはできませんが、秋には素晴らしい紅葉が見られるようなので、ぜひご自身の目で確かめにお出かけください。
1月の菩提酛の酒母を造る、清酒祭りも一般公開されています。
「少しずつ訪れる方が増えて、にぎやかなお祭りになってきました」と住職のお話しでした。
室町時代から続く菩提酛による酒造り、この先もずっと薬師如来様に見守られながら続いていくことでしょう。