日本ワイン発祥の地、”山梨県”のワインとは?

ワインの知識

日本ワイン発祥の地、”山梨県”のワインとは?

日本ワイン発祥の地、山梨県。その歴史は明治に始まりました。長い歴史に支えられながら、現在でも、日本ワインの生産量もワイナリー数も日本随一です。

今も昔も日本のワインを牽引してきた、中心的存在の山梨県。そんな山梨県のワインにはどんな特徴があるのでしょうか?

 

山梨県勝沼市

 

生産量は日本一!

山梨県の強みは何と言っても、生産量の多さです。年間のワイン生産量は日本最大で、日本全体の4分の1強を占めています

年間生産量は4,334kℓ、ボトル750㎖換算で約580万本です。また、ブドウの栽培面積も山梨県が日本一です。

 

日本でつくられているブドウの大半が生食用ですが、ワイン用ブドウに限って言うと、山梨県内の生産量と使用されたブドウの量を比較すると、県外へも12%ほど流出していることになります。他県のワイン造りにも山梨県は協力している形になります。

まさに、日本ワインを今も昔も支える存在です。

 

ワイン用ブドウ

日本の固有品種を支える山梨県

山梨ではどんなワインが造られているのでしょうか?ワインの味はブドウ品種によって違うので、品種を知ることが大切です。

まずは、白ワインと赤ワインとどちらが多いかを比べると、白ワインが61%と多いです。

 

品種としては、白ワインは「1位 甲州、2位 デラウェア、3位 シャルドネ」赤ワインは「1位 マスカット・ベーリーA、2位 巨峰、3位 メルロ」となっています。

白ワインの甲州と赤ワインのマスカット・ベーリーAはどちらも日本固有の品種で、世界で日本の独特のワインといえば、この品種となります。

 

そのどちらも圧倒的数量で造っているのが山梨県なのです。

https://liqlog.com/post/maker/japan-wine_make01/

山梨県には、ワイナリーはどのくらいある?

山梨県のワイナリー数は現在85軒ほどあり、現在でも新しいワイナリーの設立が続いています。

以前と違うのは、大規模ワイナリーだけでなく、個人や家族でワインを造る「小規模ワイナリー」が増えてきていることです。

 

現在、日本全国のワイナリー数は330軒ほどなので、全国比としてのワイナリー数の割合は3割弱ほどとなりました。

十数年前までは、日本で稼働しているワイナリーの半数以上を山梨県が占めていました。これは、山梨県のワイナリー数が減ったというより、いかに日本全体のワイナリー数が増えたか、ということです。

 

日本のワイン造りが盛んになってきたのは、山梨県が今まで頑張ってきたからでしょう。

 

シャトー・メルシャン

日本ワインを牽引してきた、山梨県のワイン造り

それでは、長く日本ワインを支えてきた山梨県のワイン造りの歴史を紐解いてみましょう。

ワイン造りの始まり

明治時代に日本政府は海外に追いつくために、殖産興業政策を行います。海外文化の象徴ともいえる、ワイン造りが奨励されました。

1870年ごろ甲府市において「山田宥教」と「詫間憲久」が共同でワインを造り始めました。そして、1877年に祝村の人々の協力を得て「大日本山梨葡萄酒会社」が設立されました。山田と詫間は全財産を投げうって、ワイン造りに没頭していたと言われています。

ちなみにこの「大日本山梨葡萄酒会社」の流れを引くのが、「シャトー・メルシャン」と「まるき葡萄酒」です。

 

まるき葡萄酒

 

赤ワインは自生していた山ブドウから。白ワインは今も中心品種の勝沼産の甲州だったようです。

その同じ年に設立メンバーの子弟である「高野正誠(当時25歳)」と「土屋助次郎(当時19歳)」がブドウ栽培とワイン醸造を学ぶためにフランスに留学しました。

 

ワイン造りを学ばせるために二人の青年をフランスへ派遣

 

帰国後、土屋は欧・中東系品種の栽培は難しいと考え、アメリカ系のコンコードなどを導入します。

留学先でしっかり学んだ二人は、海外のワイン造りをただ真似するのではなく、山梨県の気候や土壌に合う最適なブドウ品種を選んだのですね。

 

ワイン造りを始めた山田と詫間は、最初はあまりうまくいかなかったようです。「苦心して、長年研究を続けていても、知識がないから、とうてい優れた製品は造れない」と政府に陳情していたそうです。

高野と土屋の留学は山梨県のワイン造りの向上と現在までの日本ワインの土台造りに、いかに欠かせないものだったかが分かりますね。

https://liqlog.com/post/maker/japan-wine_make04/

 

1890年代から1900年代に笹子トンネル開通によって、ワインの輸送時間も短縮され、勝沼周辺の人々にもワインが浸透し売り上げが増えます。

その結果、1926年にはワイナリーが319軒、1939年には3,694軒と史上最高件数に達しました。

 

ところが、日本も戦争の波に飲み込まれていきます。

 

戦争末期になると軍部による潜水艦のソナーのためのワイン造りとなっていきました。ワインは葡萄酒と呼ばれ、戦争中は敵国のものでも増産奨励の対象でした。

当時は「戦争の兵器のためのワイン」で、美味しいワインを造るという目的とはかけ離れていたのです。

 

そんなワインを造りたくないワイナリーは多く、ワイナリー数は激減します。

https://liqlog.com/post/maker/%e7%ac%ac7%e6%ac%a1%e3%83%af%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%83%96%e3%83%bc%e3%83%a0%e3%81%ae%e8%a6%81%e5%9b%a0%e3%81%af%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%83

戦後、ブームを造るも苦難の時期へ

戦後、やっと「兵器のためのワイン」ではなく「美味しいワイン」が造れるようになりました。1951年には山梨県はワイン醸造量が日本全体の約30%のシェアで、再び日本ワインを牽引していきます。

1961年にはメルシャン勝沼ワイナリー。1964年にはマンズワイン勝沼工場ができました。1972年にはマンズワインが行った「夫婦でワイン」キャンペーンで第1次ワインブームが起きます。

 

その後も「地ワインブーム」=一升瓶ワインもワインブームとなり、高度経済成長期のワインブームの造り手は山梨県のワインだったのです。

 

一升瓶ワイン

 

その後、ワイン造りが全国へ広がったため、山梨県だけが注目されるようなことはなくなりました。

むしろバブル期以降迎える赤ワインブームはカベルネ・ソーヴィニヨンなどの欧・中東系品種が流行ったため、この栽培地は山梨県ではなかったのです。

バブル期以降は、他県の日本ワインだけでなく、フランスやイタリアの輸入ワインにも押され、山梨県のワインは苦難の時期を迎えます。

 

それでも現在、日本ワインは山梨県産のワインを中心に、日本のワイン愛好家や世界から大きく注目を集めています。その理由は、山梨県が県のワインを中心に、日本のワインを世界へ発信してきたからです。

その山梨県の努力と復活劇を次回お話していきます。

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