ジャパニーズウイスキーの新たな物語を小諸から。2023年6月に誕生した「小諸蒸留所」の創業者・島岡高志が世界的マスターブレンダーであるイアン・チャンとともに歩む挑戦
酒造・メーカー紹介
世界中が注目する「小諸蒸留所」がついに誕生。世界屈指の造り手であるイアン・チャンが、小諸で至高のウイスキー造りに挑むことになった経緯
ジャパニーズウイスキーの生誕100周年にあたる今年、世界中から注目されているウイスキーの蒸留所が長野県小諸市に誕生しました。その名も小諸蒸留所。
イギリスの大手専門誌に「世界で最も訪れたい蒸留所3選」の一つに選ばれ、世界中のウイスキー関係者が集う「World Whisky Forum (“WWF”)」の開催地として、アジアで初めて選出されました。
そもそも何故、創業してから間もない小諸蒸留所が、これほど注目されるのでしょうか。
その鍵となるのが、世界的なウイスキーの造り手であるイアン・チャンの存在です。彼は、「日本に骨を埋める覚悟」で、日本に移り住み、小諸蒸留所で至高のジャパニーズウイスキー造りに励んでいます。
このストーリーでは、小諸蒸留所誕生の秘話や、開業に至るまでの舞台裏をお伝えします。
コンテンツ
- 創業社長は、元外資系金融機関の凄腕トレーダー。旅館の再生に成功し、起業家魂に火がついた。
- 誰にも相手にされない中、小諸市役所が、理想の土地探しに協力してくれた
- ほとんどの人に相手にされなかった「世界的な蒸留所を作りたい」という夢。しかしチャンは、僅か3時間で、共同創業者として一緒に夢を実現しようと決断した。
- 小諸はウイスキー造りに理想の場所。極上のジャパニーズウイスキーを造りたいという原点に立ち返り、「KOMORO」ブランドを採用することになった。
- 最初の計画は、現在の三分の一の生産量。完成を急いだが、渡航制限や建設に係る諸手続きのためにスローダウン。時間的な猶予ができた分、議論を重ね、全く新しいカタチの蒸留所になっていった
- 工事が大幅に遅延したおかげで、ジャパニーズウイスキー生誕の100周年という記念すべき年に竣工。島岡もチャンも運命を感じた。
創業社長は、元外資系金融機関の凄腕トレーダー。旅館の再生に成功し、起業家魂に火がついた。
社長の島岡高志は、元シティバンクの凄腕トレーダーでした。 長年、国際的な債券市場で活躍し、トレーディングの責任者兼執行役員という重責に就いたものの、知人から軽井沢にある古い旅館を引き継いでくれないか、と頼まれ、あっさり銀行を辞めてしまいました。
後継者不在の中、旅館の看板を守りたいという老夫婦の願いに応えたものの、旅館経営は未知の世界。島岡にとっては、全てが試行錯誤の連続でした。
課題を見つけ、一つ一つを地道に解決する毎日。スケッチブックに線を引いて予約を管理していた旅館は、いつしかオンライン決済ができるようになり、冬の間外気が吹き込み、震えて過ごさなければならなかった部屋は、暖かく快適な部屋に生まれ変わりました。
引き渡しから18ヶ月経った時には、従業員への支払いにも窮していた旅館は見違えるようになり、多くの宿泊客で賑わうようになりました。
この旅館経営での成功が、島岡の起業家魂に火をつけました。もともとウイスキーに魅了されており、自身の蒸留所を持つことを夢見ていた島岡は、閉鎖されてしまった軽井沢蒸留所を再興して世界的な蒸留所にしようと決意。実際に行動に移すことにしました。
誰にも相手にされない中、小諸市役所が、理想の土地探しに協力してくれた
資金的な見通しは不透明のままでしたが、島岡は、理想的な条件を備えた場所を探し始めました。
彼が求めた条件は、
- 森に囲まれていること
- 清涼な水に恵まれていること
- 景色が素晴らしいこと
- 気温がスコットランドに近いこと
- 広大な敷地が確保できること
当然のことながら、これらの条件に適った土地探しは、誰からもほとんど相手にされることなく、時間ばかりが経過していきました。
「お金はあるんですか?」「ウイスキー、造ったことあるんですか?」「素人には無理ですよ。」
幾度となく、そんな言葉を投げかけられました。そんな中、ダメ元で、と訪れた小諸市役所は、島岡が熱弁する蒸留所造りの計画に耳を傾け、共感し、手を差し伸べてくれたのです。
そして、2019年12月30日、運命の時が訪れました。小諸市役所の案内で、小高い丘にある森に足を踏み入れた瞬間、島岡は、稲妻に撃たれたかのような感覚と共に、「ここだ!」と直感しました。
彼の執念が報われ、理想的な土地が見つかった瞬間でした。
ほとんどの人に相手にされなかった「世界的な蒸留所を作りたい」という夢。しかしチャンは、僅か3時間で、共同創業者として一緒に夢を実現しようと決断した。
ウイスキー造りに理想の地が見つかってから、島岡は、不思議なくらいに良縁に恵まれます。経験も資金も不足していたにも関わらず、島岡の想いに共感したフォーサイス社の社長は、素晴らしい造り手を紹介しよう、と申し出てくれました。
その人こそ、当時カバランを去り、新たなキャリアを模索していたイアン・チャンだったのです。
島岡は、早速、チャンの記事を集めるとその業績を知り、驚きます。こんなすごい人と話せる機会は、一生に一度しか巡ってこないかもしれない。
島岡は、小諸の水の成分表、気温の年間データ、現場の写真、資金計画等、チャンの興味を引くためにできる限りの情報を揃え、オンラインミーティングに臨みました。
ミーティングは、予想に反して3時間に及びました。そしてミーティングの最後に、チャンは、”I’m in! (一緒にやろう!)”と言い、共同創業者として、一緒に理想とする蒸留所を築こうと約束したのです。
その日、島岡は興奮のあまり、一晩中眠れませんでした。
一方、チャンの周囲は、俄かに騒然となりました。「たった3時間の会話で、しかも画面越しにしか会っていない人を信頼していいのか?」、「詐欺ではないか?」と、小諸での新しいプロジェクトを訝しむ声が多く上がりました。
世界最高峰の造り手の一人で、ウイスキー業界の宝とも言われるチャンが未知のベンチャーに飛び込もうとしていることに、多くの人たちが心配し、真剣に止めようとしたのです。
しかしチャンは、島岡との出会いを、敬愛する師、ジム・スワン博士の天国からの贈り物と感じ、その直感に従うことにしたのでした。
小諸はウイスキー造りに理想の場所。極上のジャパニーズウイスキーを造りたいという原点に立ち返り、「KOMORO」ブランドを採用することになった。
具体的にプロジェクトが始まると、建設計画と共に、どのようなブランドにするかが大きな議論となりました。
島岡は、最初にウイスキーの奥深さを教えてくれた「軽井沢蒸留所」のウイスキーに強い魅力を感じ、組織再編により閉鎖されてしまった「軽井沢蒸留所」を蘇らせようと考えていましたが、チャンは、自分たちにしかできない極上のジャパニーズ・ウイスキー造りに集中するべきだ、と力説しました。
小諸には、ウイスキー造りに最高の環境と水があり、人々の想いが詰まっている。だから、世界中の人に愛されるブランドになるはずだと。
それから2人は、新しい蒸留所を「小諸蒸留所」と名付けることとし、フラグシップブランドとして「KOMORO」を世界的なブランドにしよう、と決意しました。ここに新たなウイスキー造りの冒険が始まったのです。
最初の計画は、現在の三分の一の生産量。完成を急いだが、渡航制限や建設に係る諸手続きのためにスローダウン。時間的な猶予ができた分、議論を重ね、全く新しいカタチの蒸留所になっていった
とはいえ、蒸留所ができるまでは、苦難の連続でした。コンセプトを、具体的な形で実行しなければならないし、そのためには資金調達も必要です。
事業を少しでも早く開始するため、初期の計画では、現在の三分の一の生産規模。それでも銀行は、簡単にお金を貸してはくれませんでした。「確実に売れるのか?」「その裏付けはあるのか?」「売れなかったらどうするのか?」「製造免許は確実に取れるのか?」など、厳しい審査が続きました。
そんな中、資金的なサポートをしてくれたのが、島岡とチャンの友人達でした。まだ土地が更地であるにも関わらず、2人を信じて投資をしてくれたのです。
彼らのおかげで、土地の整備に必要となる最低限の資金を調達することができ、工事に着手することができました。
2020年12月、チャンは、小諸市での記者発表に合わせて来日。初めて蒸留所の建設地を訪れ、自分の直感が正しかったことを確信しました。一帯に吹き渡る風、清らかな水、豊かな森の息吹、全てが思った通りでした。
澄み渡った美しい冬空を見上げたチャンは、故ジム・スワン博士に、改めて自分の決意を報告しました。
しかし、チャンの帰国後、蒸留所の建設工事は、再び困難に直面します。
軟弱地盤かつ急傾斜地であることによる難工事に加え、建設地に大量の瓦礫が埋設されていることが分かり、工事を暫く中断せざるを得なくなったのです。
チャン自身も、コロナの感染拡大に伴い、帰国後1年以上もの間、再入国できず。さらに2022年2月には戦争が勃発し、建設資材の納品遅延が続き、価格も、円安と相まって大幅に高騰してしまいました。
ポットスチルの作製や運送にも影響があり、大幅な工期の遅れにつながりました。
しかし、このような建設工事の遅れは、マイナス面だけではありませんでした。じっくりと計画を見直すことにより、小諸蒸留所のカタチを大きく変えることになったのです。
最初のきっかけとなったのが、エディ・ラドローのプロジェクトへの参加でした。
イアン・チャンがやるなら、ぜひ自分もチームに加えて欲しいと、申し入れてきたのです。彼は、IWSCという世界的なお酒の品評会で審査員を務めており、テイスティングに関するバイブル書も書いています。
小諸蒸留所がウイスキーの魅力を発信する一助になりたい、と、小諸蒸留所独自のテイスティング講座、「ウイスキーアカデミー」を一から作り上げることになりました。
また、島岡の妻である良衣(よしえ)は、経営コンサルティングや金融のバックグラウンドを持ち、クロスボーダーのM&Aを専門とする会社を経営していましたが、島岡の夢の実現を応援するため、10年間続けた会社を閉じ、本格的に資金調達などを手伝うことにしました。
4人は、画面越しに毎日のように語り合い、来る日も来る日も構想を練り続けました。小諸蒸留所が何を目指すべきかがより明確になり、生産規模を拡大するとともに、ウイスキーツーリズムにも寄与する魅せる蒸留所・体験型施設として、これまでとは全く違う、「新しいカタチの蒸留所」を目指すことになったのです。
工事が大幅に遅延したおかげで、ジャパニーズウイスキー生誕の100周年という記念すべき年に竣工。島岡もチャンも運命を感じた。
小諸蒸留所は、当初の予定では2022年10月には完成するはずでしたが、工期と予算を大きくオーバーして、2023年6月18日、ようやく竣工を迎えました。
竣工式には、長野県知事や小諸市長、軽井沢町長をはじめ、英国、台湾、フランスなどの大使館関係者、地元企業や公共交通機関・宿泊施設関係者など、大勢の方々が駆けつけました。
島岡がウイスキーの蒸留所を建設しようと夢を抱いてから約10年。誰もが相手にしなかったその夢は、チャンとの出会い、地元の人々や多くの仲間達からの支えによって、ようやく結実したのです。
奇しくも、竣工はジャパニーズウイスキーの生誕100周年の年。 島岡も、チャンも、自分たちに与えられた使命を感じずにはいられませんでした。
竣工式から1ヶ月後の7月23日には、併設のビジターセンターがオープン。チャンの友人やファン達も、蒸留所を訪れ、安堵と共に心から喜んでくれました。
10月からは、チャンによる渾身のニューメイク(樽詰め前の原酒)を飲むことができようになり、ガラス越しにポットスチルを見ながら、造り手の想いを間近に感じることができます。
小諸蒸留所は、先進的なデザインの中に、ウイスキー造りへの思い入れや愛情が随所に込められています。多くのお客様に楽しんでいただくために、3年間の熟成期間中も、WWFをはじめ様々な企画やイベントが目白押しです。
日々進化する小諸蒸留所。これから「KOMORO」が世界に向かって、どのように羽ばたいていくのか、ご期待ください。
小諸蒸留所概要
- 所在地:〒384-0801 長野県小諸市甲4630-1
- 代表:島岡高志
- HP:https://komorodistillery.com/
- ご予約はこちらから:https://komorodistillery.resv.jp/
- Instagram:https://www.instagram.com/komoro_distillery/
- Facebook:https://www.facebook.com/komorodistillery/
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