”東北の小灘”と称された銘醸地で「酒は大山 愛の酒」人と酒、人と人の「調和」を醸しだす酒造り。-山形県 加藤嘉八郎酒造-
酒造・メーカー紹介
加藤嘉八郎酒造について
『東北の小灘』と称された銘醸地『大山』の地に明治5年創業。
蔵のある大山の町は天領(幕府直轄地)として江戸時代初期から本格的な酒造りが始まり、昔は数十軒の酒蔵が軒を連ねていました。
広島の西条、神戸の灘と共に酒どころとして並び称せられ、「東北の小灘」とも言われました。
今では数軒の酒蔵を残すのみとなり、昔の面影は薄れてしまっていますが、この地を代表する酒として「大山」と命名しました。
また「加藤嘉八郎酒造」は、豊臣恩顧の大名・熊本53万石の熊本城主・加藤清正の流れを汲んでおります。
江戸初期、成立間もない幕府にとって清正など有力な外様大名は邪魔な存在であったため、清正の死後、嫡男の忠広を徳川三代将軍の跡目騒動にかかわったとして領地を没収、鶴岡の酒井家お預かりとなりました。その後、忠広の子女の中から造り酒屋を営む者が現れたのです。
大山ならではの特徴
良酒を醸すには、麹菌や酵母菌の微妙な息づかい『ため息といき』を感じ取り、微生物との対話を大切にする必要があるとの考えを基に『麹菌のゆりかご』である製麹装置【KOS】や、麹菌と酵母が協力し合って醸し出す『モロミのゆりかご』である発酵タンクの【OSタンク】を独自に開発。
微生物たちにより良い環境を与え、伝統の技を受け継ぎながら革新をし続け、日々『大山』を醸成しております。
米どころ庄内
鳥海山・出羽三山等に囲まれ、その伏流水と最上川など豊かな水に恵まれており、江戸時代から質・量ともに全国有数の米どころとして有名でした。
そして東北地方の多くの酒造家が「大山」に学んだと言われています(秋田・山内杜氏等)。
発酵中の菌たちの「ためいき・といき」に耳をすませて、人と酒、人と人の「調和」を醸しだすような酒造りを行っています。
我々は「酒は大山 愛の酒」というキャッチフレーズをよく使っておりますが、ここでいう「愛」とはすなわちこの「調和」のことなのです。
文:加藤嘉八郎酒造 株式会社
協力:日本酒鑑定士協会 瀧村健治
編集:LIQLOG