「化学であり、物理であり、そして哲学である」いのちを生かし、真っ直ぐに醸す、心や人間性の酒造り。-岐阜県 渡辺酒造店-
酒造・メーカー紹介
渡辺酒造店について
「蓬莱」の酒蔵がある飛騨市古川町は、岐阜県の最北端に位置し、標高3千mを越える北アルプス連峰や飛騨山脈などの山々に囲まれた古川盆地に位置します。
『飛騨古川の町並には、みごとなほど、気品と古格がある。観光化されていないだけに、取りつくろわぬ容儀や表情、あるいは人格をさえ感じさせる』と語ったのは作家:司馬遼太郎氏(「街道をゆく」)。
出格子の古い商家が並ぶ壱之町は落ち着いたたたずまいを見せ、白壁黒腰壁の土蔵が続く瀬戸川沿いには今なおしっとりした情緒が漂います。
蓬莱の酒蔵「荒城屋」
外観 藍色の暖簾をくぐって「蓬莱」の酒蔵へ。そこには長年にわたって美酒を醸し続けてきた老舗ならではの、静謐な時間と濃密な空気が満ちています。
享保17年(1732)に渡邉家の初代久右衛門が当地で「荒城屋」と称して業を起こし、2代目久右衛門は両替業を始めると共に生糸を製造して京都に販売し、産を成しました。
渡邉家が酒造りを始めたのは明治3年(1870)、5代目久右衛門章でした。
生糸の商いで京都に旅した折に口にした酒の旨さが忘れられず、自ら居するこの地に酒蔵を構え、旨い酒をとの一心で酒造りを始めました。
出来あがった酒は至極好評となり、酒を愛でる宴で謡曲を謡いながら、えもいわれぬ、珠玉のしずくに酔ったと記されています。その時、謡曲「鶴亀」で謡われた「蓬莱」を銘柄として選びました。
「蓬莱」は仙人が住むと云われる不老長寿の桃源郷・・・そして、「蓬莱」は人に慶びを与え、開運をもたらす縁起のよい「酒ことば」です。
「蓬莱」が追い求めるもの
明治・大正・昭和と、全国の銘醸地を訪れ酒造技術の習得に努め、美酒醸造の努力を惜しまず、品質至上主義を貫き数々の品評会で上位入賞。若山牧水をはじめ飛騨を訪れる文人墨客に愛飲され、その名は次第に酒通の知るところとなりました。
飛騨を代表する美酒として高い評価を受け、地域風土に根差し、四季折々の食材と共に生活の慶びの一献として、永きにわたり地元の人々に愛し続けられています。
それぞれの酒蔵には追い求めるものがあります。それはどうしても捨てられない酒蔵の魂というべきもの。「蓬莱」が追い求めるものは「米のいのちを生かすよう、真っ直ぐに醸す、心や人間性の酒造り」。伝統と手造りを重視し、古い木の道具を使い、じかに感じる香りや手触りを大切にしています。
酒造りは、「化学であり、物理であり、そして哲学である」
酒蔵の片隅で産声を上げ、酒蔵と共に育ってまいりました。酒造りの音、におい、景色、そしてそこで働く蔵人の方々の姿は、私の人生にとって大切な宝物です。
有限会社 渡辺酒造店を先代から引継ぎ、私で9代目となります。小さな酒蔵ではありますが、150年以上続く歴史のなか、先代や蔵人の方々が紡いできた技術と経験、そして沢山の知恵や情熱が詰まったパワフルな酒蔵です。
私は酒造りというのは、「化学であり、物理であり、そして哲学である」と思っています。たとえば、蒸した酒米に種こうじをふりかけ、麹菌を繁殖させる。麹によって糖化された蒸米を酵母の作用によってアルコールに変えるのは化学です。
米のたんぱく質や脂肪を減らし、中心部にあるでんぷん質の割合を高めるために高精白にする。搾った酒を温度と時間と湿度を計算して熟成させる。といったことは物理です。
酒造りは、化学と物理の両方といえるのではないでしょうか。そして、米の「いのち」を生かすように酒を造るということは、哲学ではないかと思うのです。米に「いのち」があると考えて、米が気持ちいいように発酵させようと、扱い方に注意しますね。
お米と向き合って、発酵に意識を向けて、酒造りによって心を伝えるということも、やはり哲学ではないかと思うと渡邊社長は語ります。
文:日本酒鑑定士協会 瀧村健治
編集:LIQLOG