国東半島の豊かな自然に育くまれ、頑固に守られてきた信念のもとで造られた「妥協のない本格焼酎」-大分県 南酒造-
酒造・メーカー紹介
南酒造の歴史
「南酒造」は明治元年(1868)現在の地、大分県国東郡の安岐町に創業し、清酒「有明」を発売。
第二次大戦中、国の企業整備政策によって一時休業を余儀なくされ、戦後は蔵を芝居小屋に利用するなどやりくりした後、4代目当主が米焼酎の蔵として再出発。
戦後の苦難が続く時代、手頃な値段のおいしい酒が多くの人の手に届くよう、焼酎の蔵としての道を選んだのです。
そうして発売された本格米焼酎「躍進」は、国東の味として長く地元の人々に愛されました。
30年ほど前、5代目当主「南 勝之」氏を中心に、当時人気が上昇していた麦焼酎にいち早く参入。
本格麦焼酎として「とっぱい」を発売します。蔵ひとすじに愚直に造り続けた焼酎は、まろやかですっきりとした味わいで、一度味わえばほかの焼酎には戻れない、と言わしめるほどの評価を得ています。
親孝行の若者を助けた神様の名を取った「とっぱい」
昔、ある親孝行の百姓の若者がいました。
日照りで凶作の年、年老いた母親に食べさせてあげたい一心で、つい他人の家に米を盗みに入り、つかまってしまいます。
事情を話し、許しを乞う若者に、家の主人は、酒を一升枡で10杯呑めば許してやろう、と言います。
若者は酒を呑み始めますが、9杯目で限界が来てしまいました。
困った若者の前に神様が現れ、「孝行息子のために、10杯目は私が呑んであげよう」と、10杯目の酒を呑み干しました。
こうして若者は許され、酒のうまさに感心した神様は皆に褒美をあげました。
以来この神様は「とっぱい(十杯)様」と呼ばれて地元の人々に親しまれました
これは、「南酒造」の地元安岐に伝わる昔話です。「とっぱい」はこの神様にちなんで命名されました。
熟達した職人が、1本1本丁寧に造るため「とっぱい」は大量生産ができません。正直、今ならもっと高い値段でも売れるでしょう。
しかし、商売がきびしい時期にも支持していただいた多くの人々のために、これからも高くはしたくない、と「南 勝之」氏は言います。この心意気は、まさに「とっぱい様」に通じる温かさと言えます。
南酒造の信念
5代目が定めた7條の社訓の中に、「大事業は力量によりて成就するに非ず忍耐によりて成就するものなり」というのがあります。
時間はかかっても、ひとつひとつの作業を丁寧に行い妥協のない商品を造ることがすべての答えである、これが「南酒造」の信念です。
文:日本酒鑑定士協会 瀧村健治
編集:LIQLOG