「宮崎県唯一の日本酒だけを仕込む蔵」世襲なく代々と情熱と誇りを受け継ぎ醸す酒。-宮崎県 千徳酒造-

酒造・メーカー紹介

「宮崎県唯一の日本酒だけを仕込む蔵」世襲なく代々と情熱と誇りを受け継ぎ醸す酒。-宮崎県 千徳酒造-

千徳酒造の歴史

千徳酒造」は創業1903年。九州は宮崎県延岡市に位置し、南国ならではの焼酎文化地域の中、100年以上の歴史を超す日本酒を造る蔵になります。

現在、宮崎県内に約40社の酒造メーカーがありますが、日本酒を造る蔵は唯一「千徳酒造」だけとなっております。

千徳酒造」の始まりは、1903年(明治36年)に多くの有志の方々の出資で創業した恒富酒造合資会社になります。当時も珍しい非同族会社のまま今もなお、酒造りに情熱をかける方たちで世襲なく代々と酒蔵を守っております。

 

酒造りに情熱をかける「千徳酒造」の方たち

 

1900年代当初より延岡の土地には多くの日本酒蔵が存在していました。その背景には「神々の里 高千穂」を源流とする五ヶ瀬川を含む、上質な3本の豊かな川に恵まれており南国でも酒造りに適した土地だったからだと言われています。

 

神々の里 高千穂

神々の里 高千穂

 

その後、合併や昭和19年の統制法により三酒造にて同じ土地に日向酒造株式会社を設立し、後に商標である「千徳」を社名とし、1961年、現在の千徳酒造株式会社と改名いたしました。

戦前より、宮崎県延岡市には世界的にも有名な化学薬品工場「旭化成株式会社」の本拠地があり、賑わいのある工業都市で栄えていました。

残念ながら工業都市であるがため本土決戦の様相が深刻となってきた1945年6月29日に延岡大空襲に遭い延岡市は焼け野原一帯と化し、旭化成㈱工場近くに蔵を持つ「千徳酒造」は蔵の全てを全焼、終戦前の貴重な資料などもほぼ全て失ってしまいました。

 

しかしながら、終戦から3年後の1948年、ゼロからのスタートでありましたが同じ土地に先代たちの情熱で「千徳酒造」は再建し現在に至っております。

その後、段々と近隣の日本酒蔵が減っていき、現在は「千徳酒造」だけが宮崎県唯一の日本酒だけを仕込む蔵となりました。

確かな資料は焼失したため残っておりませんが「千徳」の名の由来は文字通りこのお酒を飲む人々に「千の徳がありますように」と願いを込め先々代が命名したと語り継がれております。

 

「千の徳がありますように」と願いを込め先々代が命名

千徳の原料

千徳」の原料となる米は、宮崎県内各地で契約栽培されている酒造好適米「山田錦」「はなかぐら」を用い、酒の命となる水は、神々の里 高千穂を水源とする五ヶ瀬川の潤沢な伏流水を加え、香り華やかな高品質な大吟醸をはじめ、様々な特色のある清酒「千徳」が醸し出されています。

日本では、寒い地域で造られる日本酒が、原料になる米も上質で気温も酒造りに適し、旨い酒ができるとイメージされています。

 

宮崎県内各地で契約栽培されている酒造好適米「山田錦」「はなかぐら」

いくつもの困難を乗り超えて…

悲しいことに宮崎に日本酒蔵は無いと思われてもいます。

しかしながら、世襲なく代々と情熱と誇りを受け継いでいる「千徳酒造」は南国宮崎の地で1980年代、延岡市が恩恵を受けている大手化学薬品工場「旭化成株式会社」のブランド清酒が延岡市内外のシェアを広めており、当社の業績が落ち込んだ時代には、それまで常温か燗で飲むのが主流だった日本酒の飲み方を改革すべく現在では当たり前に販売されている「冷酒」の商品化、発売に他メーカーよりいち早く取り組み困難を乗り超えました。

2000年代は異常なまでの焼酎ブームの影響で経営危機の時期もありましたが、現在、社長でもあり酒造りの責任者でもある「杜氏(とうじ)」門田氏を含め8名が力を合わせ、今なお度々くる困難を乗り超え小さな蔵を守っています。

 

世襲なく代々と情熱と誇りを受け継いでいる「千徳酒造」

 

100年以上もの伝統・先代たちからの技術を守り、プライドを高く持って九州は南国 焼酎王国宮崎で、米一粒一粒丹精込めて造ってくださった生産者への感謝を忘れず、米の香りと旨味を最大限に引き出し、世界中で愛される日本酒になるよう正直に真面目に真心を込めて造っています。

 

文:日本酒鑑定士協会 瀧村健治
編集:LIQLOG

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