正に純米焼酎の郷。人吉球磨の伏流水と良質豊富な米と、冬の冷涼な気候で造られる球磨焼酎。-熊本県 深野酒造-
酒造・メーカー紹介
深野酒造の歴史
「深野酒造」の創業は、文政六年(1823)。初代の深野時次(ときじ)は元々福岡・久留米の出身。久留米ですから、当時の領主は筑前・黒田氏でしょうか、御用商人をしていたそうです。
時次はお米の買い付けに人吉・球磨(当時の相良藩)に出入りするうち、人吉盆地の豊富な米、良質な水、冬の冷涼な気候に目をつけ、当時相良藩が藩をあげて焼酎・清酒の製造を奨励していたこともあり、一族でこの地に移ってきたのだそうです。
現当主「深野 誠一」氏は数えて七代目。2008年には、創業185周年を迎えました。
熊本県南部に位置する人吉球磨
人吉球磨は九州山地の只中にあり、これを源とする球磨川が永い年月をかけて、盆地を形成してきました。
かつて700年近くにわたり相良家が領地としてきたこの地は、山深い地方であり、一見したところ稲作には向かないようにみえながら、実は谷間に隠れて多くの田圃があったのです。
相良藩では、そういった田圃(かくし田)で米を作らせ、その余剰米(一種の脱税ですね)で焼酎や清酒を造らせたわけです。
藩をあげて酒造りを奨励していたこともあって、「深野酒造」の創業当時は領内に蔵が170ほどもあったといわれています。
太平洋戦争中から戦後にかけては、人吉球磨といえども米不足に陥り、芋焼酎が造られていた時期もあったそうですが、それ以外は一貫して米焼酎。
九州山地の伏流水と良質豊富な米、冬の冷涼な気候と三拍子揃ったこの地は、正に純米焼酎の郷なのです。
現在、球磨焼酎には世界の産地指定がなされており、人吉・球磨で造られた純米焼酎でなければこの「球磨焼酎」という名を掲げることはできません。
歴史と伝統、昔ながらの「カメ仕込み」
「深野酒造」で造られる焼酎、一次仕込みの工程にはすべて土甕(どがめ)が用いられます。この土甕、江戸時代の末期から百数十年にわたって使われているものです。
では、なぜ土甕を用いるのか、それは「土甕を用いることによって独特のまろやかさが得られる」から。理由としては、土甕にはセラミックの効果があることや甕の微小な隙間を通して焼酎が外気と呼吸すること。
また甕の大きさ(500リットル程度)が1回の仕込み量に最適であるため味が良くなるのだ、という説もあります。「深野酒造」ではこの甕を土中に1mほど埋め、気温の変化による影響をなるべく受けないようにしてあります。
一本一本クセが異なるカメの個性を見極めて仕込むことと、すべての工程で温度に敏感であること。(温度はしゃべらないモロミの声だと思っているから)
しかしこの甕、割れたり欠けたりで段々数が減っているのが実情。これから先、どこまでもつかはわかりませんがもつ間は甕仕込みにこだわっていきます。
文:日本酒鑑定士協会 瀧村健治
編集:LIQLOG