「備前児島酒」は、戦国大名宇喜多秀家が、1590年に岡山城の新築と城下町の整備に着手した頃、児島諸白として京において有名であったお酒を復元しようとしたものです。
児島諸白の中心地は、現在の岡山市郡でしたが、1595年秀家は、郡の酒屋を岡山城下に移転するように命じ、城下町の整備を図りました。岡山市の城下町の原型はこの頃できあがったといえます。
「児島酒」に関する資料は残っていませんが、当時の酒造技術についての資料としては、「御酒之日記」(佐竹文書)と「多聞院日記」があり、これらの資料を基に「備前児島酒」を復元することに挑戦いたしました。
出来上がった「備前児島酒」の味わいは、麹歩合が33%と高く(現在は20%)、汲水歩合が78%と低い(現在は120%)ため、米のアミノ酸が多く、濃厚な味わいとなっています。
また、二段仕込により(現在は三段仕込)酸味が高くなり、酸が濃厚な味わいにアクセントとなり、味わいのバランスをとっています。お米は岡山産雄町米を精米歩合60%と高精白にしていますが、当時の精白は10%以下であった点が大きく異なっています。